堀ひろ子という友人/aheadアーカイブス vol.91 2010年6月号

1970〜80年代にかけて、バイクでの世界一周ツーリングや女性だけのバイクレースを主催し、自らもレースに参戦していたカリスマ女性ライダー、堀ひろ子。彼女に魅了されたカーライフ・ジャーナリスト、まるも亜希子が5回にわたり、堀ひろ子から学んだメッセージを綴る。(「ahead」2010年6月号より転載)


堀ひろ子(1949〜1985年)/女性ライダーの草分け的存在。'76 年当時、女人禁制だったロードレースに界に自ら出場し女性参戦の道を切り拓いた 。レースとともに、世界一周ツーリング('75年)や にサハラ砂漠縦断('82年)、女性向けバイク洋品店「ひろこの」 経営など精力的に活躍。著書も多数残している。(写真:原 富治雄)


Vol.2:哀しみがくれた覚悟


 桜が若葉に変わる頃、部屋に積み上げた古いバイク雑誌は、ベッドの高さを越えていた。全国の古本屋から入手したもので、多くは '75年から '85年の日付だ。そこには、堀ひろ子が残した数々のレポートがある。そして、日本のオートバイ黄金期が広がっている。私は素潜りをするようにその世界に浸っては、時代の潮流を感じ、彼女が起こした波紋をたどった。


 どうしても知りたいことが、ひとつあった。真実を聞くことが不可能な今となっては、彼女があちこちに沈めたパズルのピースを拾い集め、デコボコでも、うっすらとでも、形を再現していくしかない。 


堀ひろ子はなぜ、こんなにもバイクを愛したのか。 


 それが、私がどうしても知りたいことだ。「単純に面白さにハマったのだろう」。いや、「女性が少ない世界だったから、重宝されて居心地が良かったのでは」。「時代が彼女を求めていたんだよ」。さまざまな意見がある。どれも当たっているのだと思う。でも決して、 それがすべてではないとも思う。もっと、彼女の奥深くにたぎるような何か。普段は彼女自身すら忘れていて、他人にも漏れず、でもふとした時に噴出するような何かが、必ずあると私は直感していた。


 ひとつめのピースは、彼女が最初に成し遂げた偉業、世界一周 ツーリングの記録から拾いあげた。これは、 ’75年5月にパリをスター トし、パートナーの表ひろみさんと共にホンダ『CB750Four』2台を駆り、世界 25ヵ国・約4万kmを走破したチャレンジだ。 


 荷物を極限まで減らし、食費と宿泊費を切り詰めた彼女たちの旅だが、異国の人や文化に触れた新鮮な驚き、なにより未知の世界を走れる歓びと興奮が、体験記である著書『オートバイからVサイン』 にあふれている。ところどころに、彼女の可愛らしい本音やユーモ アがチラリと見えて、親しみをおぼえたりもする。たとえばある日の日記では、「オスロを出発してから4日目には北極圏に入り、6 日目にはスキボトンに到着して記念撮影。抱き合って喜びたいところをグッとこらえてーーだって女同士なんですもの ーー 二人で感激をかみしめた」(出典:『オートバイからVサイン』)という具合だ。 


 ルートは西欧から北欧、東欧からアフリカ大陸をかじって西欧へ戻り、北米大陸をまわってゴールとなっている。こと細かに綴られる中で、なんとなく違和感をおぼえた部分が、ひとつだけあった。 それは彼女が、パリへと再び戻る日の心境を記したものだ。 


「ヨーロッパ最後の夜にふさわしいモン・サンミッシェルに着いた。(中略) 空と海は闇の中に混じり合い、今まで走って来たことも、 ここまでの長い道程もひと時の夢のようで、空と海に溶けてしまっ たような錯覚すら感じる。ここへ来るために、ひたすら走ったのかもしれない。(中略) 地球の中で、自分を受け入れてくれる大地を探していたのかもしれない」。(出典:前に同じ) 


 4ヵ月もの長旅の果てに、あの美しい景色を前にして感傷的になったのだと思えば、それまでかもしれない。でもまだ北米大陸の旅が残っているのに、ここが本当のゴールかのような微かな心の動きが、この言葉に見え隠れするような気がした。 


 もつれた糸のような私の違和感は、思わぬところでほどけ始めた。’82年発行の著書に、友人たちへの素直な気持ちを綴ったエッセイがある。その一節で、タイトルは「私のなかの彼へ...」。 


「あれから、もうすでに六年がたってしまいました。(中略) 私はあのときから、ずっと待ちつづけていたのです。オートバイによる長い旅が終わればあなたに会える、と。五ヵ月の旅が終わればいっしょになれる、と。(中略) そんなある日、あなたがパリに走りにやってくるという知らせをスペインのホテルで聞いたときは、思わずとびあがり、神様もまんざら捨てたものではないな、なかなかシャレ たことをなさるもんだと思ったものです。(中略) そして長い旅を終えて、パリに帰ってきたのでしたのに。私の足が少し遅かったからでしょうか。あなたは私を待ちきれずに、いそいそと遠い宇宙の星へと旅立ってしまったのです。なんのメッセージもなく無断で」。 (出典:『オートバイのある風景』) 


 ’75年9月10日の朝、NHKのニュースは、フランスでの日本人ライダーの訃報を伝えたという 。


 彼女がパリに着いたのは、予定より1週間ほど遅れた9月16日の夕刻。もう少しでつかめたはずのゴールは、何の前触れもなく消え、 二度とたどり着くことはできなくなった。彼女はこのとき初めて、 時は無限ではないと知った、と書いている。もっていきようのない怒りと、とんでもない底なしの寂しさが襲いかかってきた、とも。 


 しかし彼女はそれをすべて、沈黙の中に埋めた。6年後に書かれたこのエッセイのほかに、彼女の心を知る術はない。だからこそ、 私はその哀しみの奥深さを痛いほど感じとる。 


 かつて、私はこの世で最も大切な人を失い、家を失い、有り金をはたいて借りたアパートで独り、途方もない喪失感と闘っていた。 仕事場や、家族や友人の前では笑っていたが、独りになるとアルコールだけが頼みの綱だった。毎夜、涙も出ないほどに泣いた。それが 半年も続いた頃、気が付いたのだった。本物の哀しみを抱えたとき、 人は、それをふり払うことをあきらめ、心に埋めたまま生きていく覚悟を決める。


 彼女が北米大陸を走り抜き、世界一周ツーリングから帰国したのは、 11月26日のことだった。そして私はここからが、女性ライダー・ 堀ひろ子の本当のスタートだったのだと信じる。


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'80 年代前半の「ひろこの」カタログより 


【参考文献】 『オートバイからVサイン』堀ひろ子 (CBS・ソニー出版) 、『オートバイのある風景』堀ひろ子(二見書房)


文_まるも亜希子 <aheadアーカイブス vol.91 2010年6月号> 


 <著者プロフィール> 

 まるも亜希子/Akiko Marumo 

 自動車雑誌編集者を経て、カーライフ・ジャーナリストとして雑誌やトークショーなど多方面で活動中。 04、05年にはサハラ砂漠2500キロを走破する女性だけのラリーに挑戦、完走を果たした。 また04年に女性として初めて、ハイブリッドカーで耐久レースに参戦、完走。現在も毎年のライフワークとしている。   


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